東京高等裁判所 昭和54年(う)749号 判決 1979年8月14日
主文
本件控訴を棄却する。
当審における未決勾留日数中一二〇日を原判決の刑に算入する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人佐々木実及び被告人が差し出した各控訴趣意書(ただし、被告人提出分は四を除く。)に記載してあるとおりであるから、これらを引用し、これに対して当裁判所は、次のように判断する。
弁護人の控訴趣意一及び被告人の控訴趣意について
所論はいずれも訴訟手続の法令違反の主張であつて、要するに、被告人は昭和五三年七月一四日の午後八時五分ころ国鉄飯山線越後田中駅南側空地付近で警察官の職務質問をされ、間もなく任意同行の名目で始めに同駅待合室、次いで栄駐在所、更に飯山警察署に順次連行され、その間約六時間余にわたり実質上逮捕の状態に置かれ違法に身柄を拘束された後、翌一五日午前二時一八分同署において逮捕状により通常逮捕をされたものであるから、被告人に対する逮捕は違法であり、かような違法逮捕の後に得られた被告人の自白調書はすべて違法収集証拠として証拠能力を否定されるべきであるのに、これらを証拠として判示事実を認定した原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反がある、というのである。
そこで、原審記録を精査し、当審における事実取調べの結果をも合わせて検討すると、まず本件逮捕に至る経過は次のとおりである。
(1) 昭和五三年七月一四日午後三時二四分ころ、長野県飯山市内において駐車中の原動機付自動車前部荷籠から藤沢タカ所有の郵便貯金通帳等在中の買物袋が窃取される事件が発生し、同日午後三時二六分ころ、被害者から飯山警察署(以下、飯山署という)に届出がなされ、その際目撃者が確認した犯人の人相・服装・犯人が乗つて逃走した普通乗用自動車の色・ナンバー等が申告されたので、これに基づき直ちに緊急手配がなされた。その後間もなくして、右自動車は同日午前九時過ぎ(右窃盗の約六時間前)に新潟県上越市内で盗まれたものであることが判明し、その旨直ちに捜査員に通報された。
(2) 同日午後五時五〇分ころ、一般の人から「手配車両が国道一一七号線を飯山方面から新潟方面に向かつている」旨の通報があり、同日午後六時二〇分ころ、右国道で車両検問に従事していた大日方満、宮田克三の両巡査は手配車両が飯山方面から進行して来るのを認め、その色及びナンバーを確認したうえ停止の合図をしたところ、手配車両は一時減速したが両巡査の前付近から急に加速し新潟方面に向けて走り去つた。その際右両巡査は、手配車両の運転者がその人相・服装(手配と一部相違があるが)等から手配中の犯人であることを確認し、他に同乗者がいないことをも確認した。
(3) そこで、宮田巡査は直ちにミニパトカーで手配車両を追跡し、約四キロメートル先でこれに追いつき更に約二キロメートル進んだところで、手配車両は道路に面した栄中学校校庭に進入し同所で停まり、下車した犯人は右車両を放置したまま同校西側の山林内に逃げ込んだので、宮田巡査は車から降りてこれを追跡したが遂にその姿を見失つてしまつた。それが同日午後六時三〇分ころであつた。
(4) そこで、同中学校に犯人捜索本部が設けられ、消防団員の応援をも得て右山林の山狩りと国鉄飯山線各駅及び沿線の張込み・捜索が行われた。
(5) かようにして同日午後八時五分ころ、国鉄飯山線越後田中駅で張込み中の巡査部長高津茂夫と巡査柳沢国雄の両名は、同駅南側空地付近で用便をしている被告人を発見し、その人相・服装等が手配人物に酷似しているうえ、そのズボンが濡れていて足の方が泥で汚れていることから、山林中を逃げ廻つた犯人に間違いないと認め、被告人をすぐそばの同駅待合室に任意同行し職務質問を行つた。被告人は犯行については知らない旨答え、住所・氏名を尋ねても答えず、所持していた期限切れで失効した運転免許証、出所証明書によつて始めてその本籍・氏名・生年月日、最近(約一週間前の同月七日)高知刑務所を出所したばかりであることなどが判明した。その間に前記大日方、宮田両巡査も駆けつけ前記検問を突破し山林内に逃走した犯人は被告人に相違ないことを確認した。そこで事情聴取にあたつていた高津部長は被告人の容疑が濃いと判断し、被告人が「同所では寒い」と言い、また同所が一般の人も通行する場所でもあることから、被告人に対し最寄りの駐在所に同行することを求めると、被告人が承諾したので、被告人を同部長の軽乗用車に乗せ同日午後八時三〇分ころ最寄り(同所より徒歩約二〇分)の栄駐在所に到着した。同所において当初は高津部長が一人で次いで横沢英紀巡査部長が加わつて二人で約二時間にわたり前同様の事情聴取を行つたが、被告人の答は変わらなかつた。
(6) 右駅付近での被告人の発見から右駐在所における事情聴取の間に被告人に対し特段の強制力が加えられたことは認められない。もつとも、被告人の原審並びに当審各公判供述によれば、被告人は同行を拒否して暴れているのに腕や両脇を掴えられて連行されたというのであるが、右供述は証人高津茂夫の原審公判供述に照らしそのまま信用することはできず、また右証人の供述によれば、「あちらで話をしよう」と言つて被告人の腕をとつたことがあることは認められるけれども、この程度のことは強制力の行使とまでは認め難い。
(7) ところで、同日午後一〇時半ころ、長野県警察本部から応援に来ていた甲田明警部補は、前記諸事情からして被告人の容疑は濃厚であるが、緊急逮捕をするには無理がありなお継続して取調べをする必要があると判断したが、右駐在所の駐在員家族の就寝時刻でもあり、被告人の供述の真否確認には駐在所では不便であつて被告人にとつても不利益であるところから、飯山署長及び同署刑事課長らと協議したうえ、被告人が同意するなら飯山署に同行することとし、被告人の意向を確かめた。これに対し被告人としては同行を承諾する意思はなかつたが、半ば自棄的になり勝手にしろといつた調子で「どこにでも行つてよい」旨を述べたところ、同警部補は被告人が同行を承諾したものと考え、同日午後一一時ころ、一般の乗用車と変らないいわゆる覆面パトカーの後部座席中央に被告人を乗せ、その両側に横沢部長と甲田警部補が被告人を挾むようにして乗り、前部には運転者のほか助手席に大日方部長が乗り、合計五名の警察官が同乗して同所を出発し、同日午後一一時五〇分ころ飯山署に到着した。被告人は右パトカーに自分から乗り込み、また途中では家族の話をしたり警察官から夜食用のパンをもらつて食べたりし、パトカーから降りたいなどとは言わなかつたけれども、それはこれまでの経過からみて被告人としては同行を拒否しても聞いてもらえないと諦めていたものと認められる。
(8) 飯山署においては横沢部長が取調べにあたつたが、被告人は依然として否認を続け、しかも右取調べ中午前零時を過ぎた後、「既に逮捕しているなら遅いから留置場で寝かせてほしい。まだ逮捕していないなら帰らせてもらう」旨を述べて椅子から立ち上がつたが、同部長にとめられるということもあつた。しかし、結局被告人否認のまま逮捕状が発付され、午前二時一八分その執行がなされ、翌一六日午後一時検察庁送致の手続がとられ、その後間もなく勾留請求がなされ勾留状が発付されて同日午後四時一八分その執行がなされるに至つたものである。
以上の経過によつて判断すると、被告人を前記駅付近から同駅待合室へ、同所から更に栄駐在所へ同行した一連の行為は、その経過・態様に照らし警察官職務執行法二条二項の任意同行に該当し何ら違法の点は認められないが、少なくとも同駐在所から飯山署に向かうべく被告人をいわゆる覆面パトカーに乗せてからの同行は、被告人が始めに「どこにでも行つてよい」旨述べたとはいえ、その場所・方法・態様・時刻・同行後の状況等からして、逮捕と同一視できる程度の強制力を加えられていたもので、実質的には逮捕行為にあたる違法なものといわざるをえない。しかし、当時警察官は緊急逮捕はできないと判断していたのではあるが、前記の諸事情、特に、買物袋窃取の犯人が乗つて逃走した自動車をその二、三時間後に被告人が運転しており、しかも警察官の停止合図を無視して逃走したこと、約一週間前に遠隔地の刑務所を出所したばかりで、しかも運転免許をもたない被告人が数時間前に盗まれた自動車を運転していたことなどからすると、右実質的逮捕の時点において緊急逮捕の理由と必要性はあつたと認めるのが相当であり、他方、右実質的逮捕の約三時間後には逮捕令状による通常逮捕の手続がとられていること、右実質的逮捕の時から四八時間以内に検察官への送致手続がとられており、勾留請求の時期についても違法の点は認められないことを合わせ考えると、右実質的逮捕の違法性の程度はその後になされた勾留を違法ならしめるほど重大なものではないと考えられる。また他に右勾留を違法無効とするような事情は記録上何ら認められない。したがつて、逮捕の違法を理由として右勾留中に作成された被告人の供述調書(所論指摘の自白調書)を違法収集証拠であるとする所論は失当である。論旨は理由がない。<以下、省略>
(向井哲次郎 山木寛 中川隆司)